夏の1日

「リーン、リーン」

 

ガラ、


開け放たれた窓の向こうから、鈴虫の鳴く声が聞こえる。冷たく湿った風はカーテンを揺らし、金木犀の香りが部屋に漂う。薄暗くなった外の世界に佇む公園の時計の針は五時を指していた。


「もう暗くなってる」

 

そうつぶやいて、私は急いで窓を閉めた。
 春、夏、秋、冬。日本にはこの四つの季節がある。同じ場所でも、季節によっては全く別の場所に見えることもあるだろう。私は季節の移り変わりを大切にし、季節感のある暮らしをしていきたい。
 そのための方法としては第一に、それぞれの季節の良さを見つけることだ。


 私は、四季の中で夏が一番嫌いだ。強敵である蚊がいる上に、暑さのせいで汗をかき、身体中がベタベタするからだ。


 しかし、夏というのも悪いことではない。暑いときに食べるかき氷は格別においしい。私は、かき氷というのは最後までおいしく食べることが難しい食べ物だと思う。涼しいときに食べると、おいしく感じられないだけではなく、逆につらくなってしまう。暑いなあ、と思って冷房の入った店に入って食べても、半分ぐらいで寒くなってしまうだろう。だから、かき氷を最後までおいしく食べるには、暑い日に外に出て食べるのがベストなのだ。


 「冷たいものを食べると生き返るなあ。」


私は空になったかき氷のカップを眺めてつぶやいた。
 まだまだ暑い日が続く八月の終わり頃、私の所属している文芸部は合宿のため、伊豆に来ていた。
 その日は大室山に登っていたのだが、日差しが強く、汗もダラダラで、熱中症になりそうだった。そんな時、私達の目に『かき氷』の文字が入ってきた。なんと、かき氷屋さんあったのである。私達はすぐにかき氷を買い、ベンチに座って食べはじめた。

 


 一口食べると氷の冷たさが口の中にじわーっと広がり、二口食べるとのどの方まで冷やされていった。そして全て食べ終わる頃には全身がシャキッとしていた。私はどちらかといえば、かき氷は頭がキーンとなるため、苦手な方だったのだが、この日は全くそれを感じなかった。屋外で食べていたので、きっと、身体が冷やされていくのと同時に、適度に太陽の熱で暖められていたのだと思う。

 


 かき氷もアイスも、スイカも、夏ならでは食べ物だ。だから、それらをおいしく食べることができる夏も、悪くないなと思った。
 第二の方法としては、季節感のある作品に触れることだ。


 『五月雨の空吹き落とせ大井川』


これは、松尾芭蕉が詠んだ夏の俳句だ。松尾芭蕉の俳句は季節感にあふれていて自然の美しさがしみじみと綴られている。


 俳句というのは、たったの十七音で何かを表現するものだ。その十七音にぎっしりと伝えたいことが表現されているせいか、鑑賞する側も、詠まれている情景を想像しやすい。


 この松尾芭蕉の俳句も、私はパッと見た瞬間から頭の中に景色が浮かんできた。
 空一面に薄汚れた雲が広がっている。そして、その下を、雨のせいで濁った大井川が勢いよく流れている。


 きっと松尾芭蕉もこんな情景を見て、この俳句を詠んだのだと思う。雲がたれこめている五月雨の空をうっとうしく感じ、ざあっとそれを洗い流してしまいたかったのだろう。

 


 確かに、人間が快適な生活を送るためには科学の発達が必要だ。寒すぎず暑すぎず、適度な気温を保てるエアコンも、人間の生活にはあった方はいい。しかし、せっかく四季のある日本に住んでいるのだから、それぞれの季節を味わって生きていきたい。